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自転車

 自転車は、高校時代のサイクリングがスタートです。計画を立て、友人と3人で名古屋から日本海の小浜まで行ったのが高校3年の夏の日です。
社会人なってからは硬式テニスなどしていましたが、1986年からH君と自転車を再開しました。
ちょうどその頃が、MTBブームのはしりであり、家族とキャンプと合わせて楽しみました。
50代に入り腰痛がひどくなって、医者から起伏が激しく、ショックのある山道走行は禁止され、
今はオンロードのポタリングと、室内用の自転車で汗を流しています。

自転車は地球温暖化を防ぐエコロジーと、不況時代の通勤費節約のエコノミーで注目を集めています。私は健康と体力維持のために始め、以前に比べ風邪をひかなくなりました。
今までに、いったい何台の自転車に乗ってきたのだろう。多いときには家に7台の自転車がありました。メンテナンスや部品の交換も自転車の場合簡単に出来ますので、それも楽しいです。
長男は、小学校の時にパンク修理をして、近所の人を驚かせていました。

■ 撮影のための自転車

・2014年ファイブリンクス購入
169という16インチ9段変速に改良されてから購入しました。
初期の135はデザインは良いが、車体の硬性がヤワで乗りにくく感じました。
今回、改良されたとはいえフロントポストが長くてしなるので、急坂を上がるときの、ハンドルを引きつける乗り方は困難です。ホイールベースも短く、高速運転には注意が必要です。
一番の特徴は、折たたみが数分でできることです。
そして約10kgという重量が、ホームの階段で威力を発揮します。
軽めのギア比は、体力の落ちた私にはちょうどよく、スピードも出しやすく気に入っています。
電車で運んで、京都の撮影範囲を拡げたいと考えています。

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■ 健康のための自転車

・2020年 24年使ってきたエアロバイク廃棄(廃棄料900円)前立腺肥大に悪影響があると言われ、去年は一度も乗れなかった。これからは、ウオーキングと太極拳で健康維持をしていく。

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・1996年 エアロバイクで、雨天や冬季の体力づくりを始めました。乗りやすくするためにサドルとベダルを交換しました。
さらに2014年にハンドル部を改造しています。今は210~225kal/35minが丁度良い運動量です。
もう20年近く使っています。耳につける脈拍センサーが壊れて交換した以外は問題なしです。

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■ 私の自転車の歴史

・2014年 玄関が私の自転車の収納スペースです。家を建てるときに、玄関に自転車がおけるスペースを作りました。工具をそろえ、メンテナンスも楽しいです。今は3台を乗り分けています。

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・2012年 長距離と短距離で使い分けています
 MTB-MRはフロントフォークをTANGEのクロモリに戻しました。第2京阪の自転車道路を通って山田池までの23kmは快適なコースです。 10km以下の距離はトレンクル。後輪に荷重がかかるせいか、タイアの減りが早いです。

 2012

 

・2011年 還暦祝いにカシオのパルサーを長男からプレゼントしてもらいました。(今まで使っていたモノが壊れた。これも腕時計部のエラストマーの経年変化が原因です)
脈拍は140超えるとしんどくなります。40代は200ぐらいまで上がっていましたから、自分の体力チェックの為に必要な機器だと考えています。長距離走るときに使っています。

 2011a

 

・2011年 広島でレンタサイクルのバッテリー切れがおこり下り坂で充電して帰る事になりました。レンタルするときは、自転車の整備状態を確かめる必要を感じました。

2011b

 

・2010年 串本のホテルで借りた電動サイクル。高台のホテルと海への往復は快適でした。

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・2010年 ロックショックフロントフォークの修理。17年過ぎると部品もなく、たまたまとっておいたパーツを組み合わせて使いましたが、エラストマーの経年変化で力がかかるとボロボロとなり、修理を諦めました。最初にブルーの一番柔らかいタイプが崩れていきました。固めの赤と交換しましたが、次は黄色の部品がやられ、2年と持ちませんでした。
エラストマーは、他にもカメラのグリップや時計のベルトでなどに使用されており、同じような事が起きました。

 2010

 

・1999年〜2009年 この期間は腰痛で山にも行けなくなり、室内でのエアロバイクが多くなりました。週に2〜3度、撮りためた録画を見ながら30分乗っていました。

 

・1997年 企業自転車コンペに参加しトレンクルが優秀賞を取得出来ました(自費購入する)
ホイールベースが長いので、小径でも乗りやすく、ママチャリタイアも、段差に強く普段乗りには充分です。この時はギア比が軽すぎたのですが、63歳になると体力も落ち、丁度良いギア比となりました。
右は同時に賞をとったロディオ。私が提案したのは、重心の低いローライダーでしたが、フロントフォーク角度を小さくすることで、乗るのが難しい自転車となりました。剣道のバランス感覚を養うのに良いとか・・・いろんな楽しみ方があるのが自転車だと思います。

1997

 

・1996年 エアロバイクで、雨天や冬季の体力づくりを始めました(サドルとベダルを交換)
 2014年にハンドル部改造する。225kal/35min

 

・1994~95年 2年続けてシマノRE-Xに参加。この年は大雨の後で、コースがドロドロ+草で下り坂も漕いだり押したりしないと動かないハードレース。順位はナンバーと同じ75位(115名中)、こんな時期もありました。(MTB-MRの2台目は、後に長男に譲る)

1995

 

・1995年 小型自転車の提案 マイクロハリー改造車を自転車(事)へ寄付
小さくても充分乗れることを体験してもらい、パナソニックトレンクルへと発展していきました。

 

・1994年 これが最後の家族でのキャンプとなりました。子どもはいつまでも親にはついてこなものですね。皆それぞれの道を歩み始めました。

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・1993年 MTB-MR購入:MTB初のオーダーシステムで、自分の体格に合ったフレームやハンドルをセットアップをしました。翌年フロントをロックショックに交換しました。
(2010年にエラストマーの経年変化で使えなくなる)

 1993

 

・1992年 MTB-PROを自分の好みの色に塗り替え、ピーパルサマーミーティングに参加しました。
川上村は標高が高く、アップローロでは息が切れました。

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・1991年 組合の機関誌meuにMTBを楽しむ家族として紹介されました。撮影のため、山頂まで車で自転車を運んだので坂道嫌いの次男も快適な下りが楽しめ上機嫌でした。

1991

 

・1990年 近所の自転車屋さんを拠点に「ミルキーウエイクラブ」を主催し、中学生から大人まで、マウンテンバイクのツーリングを楽しみました。交野市のハイキングコースを走ったり、大阪城まで淀川河川敷をツーリングしたり、皆でカレーを作って食べたりと楽しみました。
しかし、子ども達の成長とともに走る機会がへり、自然消滅となりました。

1990a

 

・同年 シビックシャトルに自転車とキャンプ道具一式積んで、あちこちに出かけました 。子供達を自転車好きにしたかったのですが・・・次男にはちょっと無理があったようです。

1990b

 

・1989年 MTB-Pro購入 パナソニックのマウンテンバイクを購入し、ハイキングコースを走り始めました。トライアルの要素もあり、とても面白い時代でした。
しかし、MTBブームと共に、ハイカーとの事故が起こったりして、悲しいことにマウンテンバイクのハイキングコース走行は禁止となってしまいました。
また新しいテントやコールマンの2バーナーを使い本格的なキャンプも行うようになりました。

1889

 

・1984年 マイクロハリー改(元はドロップハンドルでした)小型自転車を車に積んで出かけ、子ども達に人気でした。これに乗って町を走っていた時、小学生はかっこいいーと寄ってきましたが、中学生からは「おっちゃん、よくそんな自転車に乗るわ」とバカにされました。

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・1970年 3月 卒業サイクリング旅行(3泊4日で名古屋~久能山)
高校2~3年は友達とよくサイクリングをしました。行きたいところを地図で選び、等高線からどれくらいの坂道かを調べてツーリング。この頃から、計画して行動するようになりました。
3月の海沿いの道はまだ寒く、風も強くって、計画どおりには走れないことを思い知らされました。途中パンクや、がけ崩れで通行止めの場所を通ったりと冒険もあり、良い思い出となっています。

 1970

 

・1969年 8月末:サイクリング:日本縦断(2泊3日で名古屋~小浜)内装3段・宮田の実用車のハンドルを上下逆にして、セミドロップハンドルよんでいました。真夏のサイクリングの暑さと闘いながらの思い出は今も鮮明にあります。当時の体重はたしか48kgだったかな。

1969

 

・1958年 コマ付き自転車 小学2年生で初めて自転車を買ってもらいました。しかし、その秋に伊勢湾台風で水害にあい、自転車はサビだらけになりました。翌年自分でサビを落とし、父に塗装してもらいました。

1958

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